ニューロマスキュラー理論(嚙み合わせ治療の救世主)

    私が噛み合わせ症候群で苦しんでおられる患者さんを治すことができるようになったのは、神経筋機構理論(ニューロマスキュラー理論:Neuromuscular theory)のお蔭です。それは、噛み合わせ症候群を診断し、治療するときの道案内の役割を担っています。

    この理論が出現してから50年以上が経過しましたが、一般にはあまり知られていません。その理由はこの理論がいまだ科学的な手続きを経て立証されていない、つまり仮説の段階にあることが原因かもしれません。
    しかし立証されていないといっても、この理論が主張していることは特殊なことではなく、常識的で当たり前なことです。

    さらには、TENS、筋電計、顎運動解析機などの機器類を自在に扱えるようになる必要があるからです。つまり効率化に馴染まず、1回の診療にかなりの時間を要し片手間の治療法としては成立しないため、敬遠される傾向にあるのです。

     

    ニューロマスキュラー理論の概要

    この理論は"身体の状態を、生理的に安静(楽)な状態に保つことが、治療の基本である"と主張しています。

    ほとんどの病気は生理的な条件を無視してそれに逆らい、無理をすることで発病します。そのため病気の治療の基本は、とりあえず無理をしないで"安静にする"ということです。そうすることによって、ほとんどの病気は"自然治癒力"が働いて回復に向かいます。

    ニューロマスキュラー理論(神経筋機構理論)などと難しそうな名称がついていますが、この理論は基本的に神経と筋肉、ならびに骨格との関係を論じています。
    筋肉は骨格と骨格の間をつないで、身体を動かしていますが、それによって自由な運動ができます。
    身体を自由にうまく動かすためには、この3者の関係を巧みに制御する仕組みが必要です。そのためには神経と筋肉の協働作業が円滑におこなえるように、何らかの制御機構が存在していると考えられます。


    その制御機構の仕組みのことを"神経筋機構"と名付けた上で、問題をひも解くための考える順序が決められています。

     

    噛み合わせ症候群(TMD)は「機能障害」である

    この制御機構がうまく機能しないと、神経と筋肉、および骨格系の間に何らかの機能障害が起こるのではないかと考えられています。
    ものを噛んで食事をする行為は、頭(頭蓋)の下部にある上の歯に対して、「下のあご」にある歯をこすりつけるように動かすことによっておこなわれています。これは頭蓋という頭の骨格と「下あご」という骨格の間にある筋肉の働きによっておこなわれる行為です。

    噛み合わせ症候群(TMD:Temporo Mandibular Disorders)という病気は、この二つの骨格の間に起こる機能障害であるというのが基本的な考え方です。
    そのために噛み合わせ症候群(TMD)は、筋骨格系機能障害(MSD:Muscuro Skeletal Disorder)の一種であると考えられています。あるいは頭蓋と下顎のあいだにおこる機能障害のことでもあるので、顎頭蓋機能障害(CMD:Cranio Mandibular Disorder)とも呼ばれています。

    経堂(世田谷区)の歯医者、K.i歯科で、ニューロマスキュラー理論

    機能障害とは具体的には筋肉障害のことです。この二つの骨格のあいだの位置関係が生理的な条件を満さないときに、その間に介在している筋肉に障害がおこるということです。

    この仕組み(神経筋機構)があるお蔭で、かなり微妙な運動までこなすことができますが、それは神経と筋肉のあいだで絶妙な協働関係があるからです。微妙な動きができるということは、非常に巧妙で繊細なシステムであるということです。些細な刺激に対して敏感に反応して迅速に行動を起こすことができるのです。行動を起こす原動力は筋肉ですが、そのために筋肉は刺激にたいしていつも敏感に反応するようにつくられています。
    この反応性の良さによって、筋肉には障害を受けやすいという弱点が存在します。骨格と骨格の間の位置関係(姿勢)に問題があると、その間をつないで微調整をしている筋肉は疲労してしまいます。なぜなら、休むことなく常に微調整を続けているためです。

    噛み合わせ症候群の本態は筋肉の障害ですが、その障害は筋肉の過労からおこっています。繊細なゆえにわずかな刺激にも反応して疲労状態に陥ります。とくに非生理的な関係が骨格間に存在すると筋肉は容易に緊張状態になり、疲労して不快症状を訴えるようになります。

    筋肉が疲労するということは、筋肉内の血液やリンパの循環障害を起こしているということを意味しています。筋肉細胞内に乳酸が蓄積され、酸素が不足します。その状態が長く続くと自力では回復することができなくなります。この状態を拘縮または攣縮(スパスムス)などと呼び、痛みや疲労感など不快感の原因となります。

     

    生理的な下顎安静位とは

    経堂(世田谷区)の歯医者、K.i歯科で、ニューロマスキュラー理論

    噛み合わせ症候群の不快感と不快症状はこのようにして発生しています。対策(治療)は、筋の緊張を緩和して疲労を回復させることですが、そのためには筋を安静状態にしなければなりません。
    さらには、筋を緊張させている原因を取り除かなければなりません。筋を緊張させているものは、骨格間の非生理的な位置関係ですが、それはこの場合、頭蓋と下あごの位置関係のことです。さらには「あご」と胴体の骨格間の位置関係のことでもあります。

    頭蓋と下顎の位置関係が生理的でない場合には、その間にある筋肉が安静を保てなくなります。

    筋肉が安静を保つことができる「あご」の位置(頭蓋に対する)のことを、生理的下顎安静位といいます。この下顎安静位の許容範囲は患者さんごとにかなり異なります。
    この範囲内で咀嚼などの機能がおこなわれていればよいのですが、歯の位置や形そして並び方によっては、「あご」の位置をズラさないと上下の歯を噛み合わせることができない場合があります。そうすると歯を噛み合わせる度に「あご」は非生理的な位置、つまり安静を保てない位置にズレることになり、筋を異常に緊張させて筋肉症状が発生します。

    下の図は顎を前から見た、奥歯をイメージした模式図です。「上のあご」と「下のあご」の各骨格間の関係を示しています。

    経堂(世田谷区)の歯医者、K.i歯科で、ニューロマスキュラー理論

    上の左側の図は上下の歯を噛み合わせない状態を示しています。上下の「あご」の位置関係は良好です。そのため筋肉も生理的に安静で、緊張はしていません。しかし歯の高さは左右で不均衡な状態です。
    右側の図は、左の状態から奥の歯を噛み合わせていったときの状態を表わしています。右奥の低い歯が噛み合うと、「下あご」は右向き(時計方向)に回転します。すると今度は左右の筋肉が不均衡な状態になってしまいます。歯を噛み合わせている時間が短ければ、歯を噛み合わせないときに筋肉は安静を保てますが、このようなことが頻繁に繰り返されると筋肉は安静を保てなくなり、疲労して循環障害に陥り、回復が困難な状況になります。

    よって治療の目的は、上下の歯を噛み合わせたとき、「あご」の位置が下顎安静位の範囲内にとどまるようにすることだといい換えられます。 

    「下あご」は頭蓋との間だけでなく、胴体の骨格などとの間とも無数の筋肉で結ばれています。そのため、「あご」の位置が狂うとこれらの骨格どうしの位置関係も狂い、その間をつなぐ筋肉は安静を保てなくなります。その結果として首筋や肩、胸部の筋肉にも障害がおよび、肩コリなどの症状を自覚するようになります。
    一連の筋肉はその他の筋肉と連携して全身的なネットワークを形成していると考えられます。
    一部の筋肉の不調和は隣接する筋肉の不調和となって伝搬していきます。そのため噛み合わせで狂わされた「あご」の周辺の筋の不調和は、離れた部位の不調和として表れることになります。すなわち、噛み合わせ症候群では筋肉の不調和は「あご」の周辺だけでなく、しばしば全身の症状として表れることになります。

    以上のことからニューロマスキュラー理論の中心テーマは、筋の安静を保つということであり、診断と治療は「下あご」の安静位を基準としておこなわれます。
    その異常は、筋力の弱い方では筋肉の全身のネットワークにより、ドミノ効果のようにつぎつぎと波及していきます。「あご」の位置のずれがこのように全身の姿勢や健康に影響を及ぼすということには驚かざるを得ません。

     

    ニューロマスキュラー理論の歴史

    経堂(世田谷区)の歯医者、K.i歯科で、ニューロマスキュラー理論

    このような考え方を提唱し、その理論をもとに診断と治療のための臨床術式を確立したのは、シアトルのバーナード・ジャンケルソンという歯科医師でした。

    ジャンケルソンは総義歯を専門としていました。歯が一本も無くなったところに入れ歯という人工の装置をいれて、それでものがうまく噛めるようにするのはとても難しく、高度な知識と熟達した技術が要求されます。
    歯が一本も無くなった人のために、良く噛める義歯を作るためには難しい関門がいくつかあります。その中で一番むずかしいのは、義歯をつくるための「あご」の位置を見つけることです。
    これを間違うと上の「あご」に嵌めた義歯と下の「あご」に嵌めた義歯が口を閉じたときに噛み合いません。「あご」が自然に閉じる位置で噛み合うように義歯をつくらないと、うまく噛める義歯はできないのです。

    歯がまだ存在していたときの顎の位置は、上下の歯を失ってしまうと分からなくなってしまいます。歯があったときの位置を推測してつくる以外に方法はないのですが、推測する方法については歯科の歴史のなかでさまざまな方法が試みられてきました。
    そのなかで最も支持されてきた方法は、「あご」の位置を顎関節を基準にして推定する考え方です。しかしこの方法は必ずしも成功しているとはいえません。

    それにかわる方法としては、筋肉群(神経筋機構)を基準にして推測する方法があります。ジャンケルソンはこの方法(ニューロマスキュラーな理論の前身)を採用して大きな成功を収めました。「あご」の筋肉が最もリラックスしたときの位置を基準にして義歯をつくると、よく噛める義歯をつくることができました。つまり「下あご」の安静位を基準にして義歯をつくったのです。このようにすると、「あご」を自然に閉じたときに口の中にある義歯も自然に噛み合います。

    この関係が狂うと、閉じて噛もうとしても口の中で義歯がずれて噛み合うか、義歯が噛み合うように「あご」をズラして咬むようにしなければなりません。義歯がズレると口のなかに傷ができて痛くて噛めなくなります。「あご」をズラして咬んでいると、「あご」の筋肉が疲れるようになります。

    良く噛める義歯をつくるためのポイントと噛み合わせ症候群の治療に関するポイントには、共通項があったのです。


    義歯をつくる基準はすでに述べたように、下顎安静位であるということです。その位置以外でつくると、その義歯は使いものになりません。
    一方、噛み合わせ症候群の患者さんの場合、歯が噛み合う位置と「あご」が楽な位置とが合っていないと、「あご」をその位置にずらして噛まなければならなくなります。そのために「あご」を動かしている筋肉に負担をかける結果となり、筋肉症状を起してしまいます。
    歯がうまく噛み合う位置と「あご」が楽な位置とが一致していない場合には、義歯であるならば口の中で移動してしまい安定しませんが、天然の歯が存在している噛み合わせ症候群の患者さんの場合には、歯そのものに異常な力が加わり過度な摩耗などがおこり、歯の寿命そのものを損なうことにもなります。

    じつは、下顎安静位を基準に治療をするということは歯科治療全般に適用されなければならない原則だったのです。総義歯の治療を成功に導いたその原則を、噛み合わせ症候群の患者さんに適用することで、症状のほとんどを消し去ることができます。症状が無い患者さんの場合には、歯の寿命を全うするために必須の原則であるということになります。

    神経筋咬合の概念(Neuromuscular Concept)は、1967年に、バーナード・ジャンケルソン(Bernard Jankelson)によって提唱されました。このような発想が得られた背景には、よく噛める総義歯をつくろうとした努力があったのです。
    前述したように、バーナード・ジャンケルソンは義歯をつくるときの基準として"下顎安静位"を用いて成功を収めました。
    それまでの顎関節を基準とした方法よりすぐれた義歯をつくることができたからです。
    それ以来、神経筋機構こそが主役であるという思いから、「ニューロマスキュラーな咬合理論」が形づくられていったのです。この理論の始まりはよい義歯をつくるための試みだったのです。
    それが噛み合わせ症候群(TMD)のような筋肉障害の治療にも有効だということが判明して、多くの人を救うことのできる貴重な理論となりました。すぐれた汎用性にも、この理論の普遍

    「(咀嚼のための)筋肉の具合がよくなると患者は満足し、満足した患者によって歯科医も幸せを感じるのです。」
    まったくその通りだと思います。

     

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